東長野ささら(ひがしながのささら)

所在地:大仙市豊川
開催場所:庚申様・連勝寺跡・別雷神社・観音様・坂の上八幡宮・野田神社・奠蔵院・地域内各所
開催日:7月22日(獅子開き)/8月7・9・13・14・17~19日/9月9日(獅子納め)
指定:県指定無形民俗文化財
カテゴリー:ささら・駒踊り
ささらは一人立ち一頭獅子によるいわゆる三匹獅子とされるものである。この獅子舞は獅子頭を頭につけて、腰に小太鼓を抱えて、それを叩きながら頭を激しく振ったり、跳躍を繰り返して舞うものである。伝承によれば、慶長7年(1602年)に佐竹氏が国替えによって秋田に遷るとき、水戸(現茨城県)城下に住む岩沢佐助なる者が佐竹氏に従って秋田に来たときに伝えたという。そのため、佐々羅(ささら)祖師として岩沢佐助の碑がこの地に建てられている。ささらは毎年7月1日を獅子こしらえといって、獅子頭や衣装、鳴り物などを整えて、それ以降適宜に舞の練習をおこなう。盆月の7日から9日までは庚申様、旧社寺跡、岩沢佐助碑に舞いを奉納する。13日には集落内まとめて先祖の霊に供養をして、神仏にも奉納し五穀豊穣を祈るものとなっている。9月9日は獅子納めといって、この日には別雷神社(わけいかづちじんじゃ)に舞が奉納されて、踞(ねまり・眠り獅子)で納めると社殿に獅子頭を安置して拝礼をして、最後に舞子のひとりが黒獅子頭を持って笛太鼓の囃子にあわせて、舞い納める儀式がある。これでその年のささらはすべて終わることになっている。獅子の踊りには、すり込み・恋慕・関東(小切り、かくり上げ)・神立・膝つき・より切り・はね切り・ねまり・かたまねぎ・雄獅子・雌獅子・笛舞などが伝承されてきた。供養ささらには主にねまりが舞われている。古老の話によれば、獅子舞の足運びは武術の足運びで、獅子頭の鼻上に立つ剣は忍者の手裏剣同様であるとされ、腰につけた脇差は言わずもがな刀剣であり、戦に備えた舞でもあると解釈されている。また、ザッツアカというささらすりの役はヒョットコ面を被り、道化てささらを摺りながら獅子をまねて踊り、時々舞をはずして観る者の中に飛び込むが、これもまた周囲を見守る忍びの役目だともいう。ささらにはオーセイという福禄寿の顔の大きな作り物を被り、開帳袖衣(僧衣)をつけて、五穀豊穣と書いた唐団扇を持って登場するものがあり、最初に団扇で舞う場所を扇ぐものである。協力元:東長野ささら保存会

ささら・駒踊りについて